日本の詩人の系譜・島崎藤村ー3 “小諸なる古城のほとり”
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なす繁縷は萌えず 若葉も敷くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わずかに青し
旅人の群れはいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
この詩には、解説は不要だと思う。繰り返し音読してみてください。詩は韻律なのです。言葉の韻と、律動が感じられるでしょう。私見ですが、藤村は万葉集を深く学んでいるように思います。
明治において、短歌の改革をした正岡子規は、短歌における写生の大切さを説いています。この詩に於ける風景描写は、 見事だと言わざるを得ません。そして心地よい韻律。
長年にわたり、多くの人たちから愛されたわけですね。
2010/12/29 Prof. Kubo
小生は、これから2011・01・03まで上高地に入ります。厳しい自然と独り触れ合いたいと思います。ではまた2011年にこのブログ上で合いましょう。
良いお年を!
2010年12月30日木曜日
2010年12月24日金曜日
9. 中国文化の源流・漢詩百人一首・第4巻 春望(杜甫)
漢詩百人一首・第4巻 春望(杜甫)
本日の講義は、春望(杜甫)についてです。杜甫は李白と共に中国・漢詩を代表する詩人です。李白の天衣無縫の天才に対し、貧しい人に対する思いやりを詩に歌い・詩聖と呼ばれています。彼は唐の時代玄宗皇帝に仕えた、下級役人で安禄山の乱に巻き込まれ、幽閉されたのです。その獄中の窓から見た、戦乱に焼かれた首都・長安の様子を歌にし、離散した家族への思いを詩にしたのが春望です。諸君も中学の国語の教科書で読んだことが在ると思います。背景を知ることが、この詩を理解につながると思います。
2010/12/24 Prof.Kubo: Marry Christmas
2010年12月23日木曜日
8.日本文化の源流・日本の詩人の系譜・島崎藤村ー2 椰子の実
8.日本文化の源流・日本の詩人の系譜・島崎藤村ー2
皆さんは、小学校唱歌を唄った経験がありますよね~
今回取り上げた詩・椰子の実は、貴女方も唄ったのです
椰子の実
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月
旧の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新なり流離の憂い
海の日の沈むを見れば
激り落つ異郷の涙
思ひやる八重の汐じお
いづれの日にか国に帰らん
皆さんも、口ずさんだことでしょう。この詩は知っていますよね~ でも、知っていることと理解していることとは違うのですよ。
海岸に流れ着いた椰子の実の情景を歌った。それは間違いありません。でも後半の
われもまた渚を枕、孤身の浮寝の旅ぞ
2010年12月22日水曜日
5.日本文化の源流・日本の詩人の系譜・島崎藤村ー1 初恋
日本の詩人の系譜・島崎藤村ー1 初恋
私は、東京・四谷に生まれ育った。中学に入ったころから、ためた小遣いを握り締め、神田の古本屋街に通った。岩波文庫を立ち読みし、一冊一冊と買った。主に買ったのは物理学者のエッセーだった。寺田虎彦、湯川秀樹、朝永振一郎、キューリー夫人。小遣銭に余裕が在るときは、岩波文の古本から詩集を買った。島崎藤村、若山牧水、宮沢賢治、石川啄木をむさぼり読んだ。
本ブログのテーマの一つとして、日本文化の源流・日本の詩人の系譜と中国文化の源流・漢詩百人一首を柱の一つとした。
今回は
2010年12月21日火曜日
2010年12月18日土曜日
2.日本文化の源流・日本の詩人の系譜 万葉集 山 上 憶 良 -1
2.日本文化の源流・日本の詩人の系譜 万葉集 山 上 憶 良 -1
万 葉 集
山 上 憶 良 -1
大宝元年(701)第七次遣唐使小録となる。時に無位となる。704年帰国、721年朝廷を退官し後東宮(皇太子)に仕えた。天平5年に没したと思われる。七十四歳。天平朝の
亡命渡来人である侍医の子と考えられている。
小生が好きな憶良の二首の歌を紹介する。
銀も金も玉も何せむに、勝れる宝、子に及かめやも
これは、反歌である。反歌は長歌(長い歌で、本来の歌である。この長歌を短く要約した歌の形式が、短歌である。この形式が平安時代に古今和歌集にまとめられ、現代に受け継がれている。
歌の意味を解説することは、やぼったいのだが、若い世代のためにあえて野暮を覚悟に解説するならば、
銀(この時代銀が通貨として、流通しており、金が通過をしての主役になるのは、秀吉の時代、佐渡金山の開発が進み大量な金が供給されて以後で在る、それが江戸幕府に受け継がれ小判が流通貨幣として定着した。それでも大阪以西では、銀本位制、江戸を中心とした関東以東では、金本位制の2貨幣制度であった。このため、銀相場と金相場があり、そのために両替商が生まれた。)
銀も金も玉も何ほどの価値が在るのか、財宝に勝る宝は、わが子に及ぶものはない!
この時代、医術のレベルは低く、幼児の死亡率は高かった。更に朝廷に仕えるものは、男子相続であり、子がないことは家の断絶につながり先祖からの受け継いだ、一族の没落に
つながった。一族の長の最大の勤めは、子に受け継がせることであった。しかし若者よ、速断してはいけません、これは時代背景を述べたもので、この歌にはまぎれもなく子供を思う、親父の心情が唄われているのです。貴女の親父さんも、お袋さんんも君達が嬰児(みどりご)のとき、風邪お引きピーヒート泣いて、鼻水をたらしているとき、間違えなくこう思ったのです。自分ひとりの力で一人前になったと思っているうちは、未だ”がき”なのです。
上記歌に句点を打ったが、本来来これはすべきことではないが、若い世代が理解しやすいようにあえて句点を打ったのです。
読み方は、銀も金もと読んではいけません。ルビどおり
しろがねもこがねもたまもなににせむ、まされるたから、こにしかめやも
と音読してください。詩、歌には韻という音の響きを作者は考えて作っているのです。
これでおわかりように、古代の人にも深い教養が在るのです。勿論彼は、朝廷に仕えるエリートであり、彼の素養の基盤は漢籍(論語等)。漢詩です。小生は、漢詩が好きで、漢詩百人一首という作品群を、YouTubeに、Blog、公式サイトに発表しています、私は、憶良が漢詩の杜甫(中国・唐の時代詩聖と呼ばれた李白と共に、漢詩の世界を代表する詩人)と日本の憶良が、その誠実さ、詩の美しさで日本の詩聖と呼ばれて良いと考えています。
若い諸君に、小生と共に、日本民族の文化の源泉をなす、日本の詩の系譜と、漢詩の系譜を辿ることにしましょう。
Pcを扱い、InterNetを駆使し、iPhonを使い、英語を話せても、海外の人には尊敬されません。自国の文化に対する理解と共用が必要なのです。
次回には、憶良の貧窮問題歌の講義をしましょう。
この原稿は、久保・物理学・哲学研究所公式ブログProf. Kubo Official Blog
- Wikipedia
に掲載します。
2010・12・18 Prof. Kubo
2010年12月17日金曜日
1. Prof. Kubo Official Glog開設
2010/12/17 Prof. Kubo Official Blogを開設
私は、本日Prof. Kubo Official Blogを開設します。本ブログは、久保・物理学・哲学研究所公式サイト
http://kuboinst.org/ と一体に運用されるもので、サイトの最新情報を発信する役割と私の研究所のある新宿区歌舞伎町の文化をSubCulture歌舞伎町として発信していきます。SubCulture歌舞伎町は2つのテーマで構成します。①若者の文化:DJ World ②中高年の文化:歌舞伎町ゴールデン街の仲間たちです。
Prof.Kubo
私は、本日Prof. Kubo Official Blogを開設します。本ブログは、久保・物理学・哲学研究所公式サイト
http://kuboinst.org/ と一体に運用されるもので、サイトの最新情報を発信する役割と私の研究所のある新宿区歌舞伎町の文化をSubCulture歌舞伎町として発信していきます。SubCulture歌舞伎町は2つのテーマで構成します。①若者の文化:DJ World ②中高年の文化:歌舞伎町ゴールデン街の仲間たちです。
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