旧約聖書研究
エデンの園:人類の祖先アダムとイブの犯した原罪についての考察
この原罪ということに、自然科学者・物理学者の視点からの疑問を感じる
エデンの園で、人類の祖であるアダムとイブとが犯した罪を、原罪と呼ぶ。人はこの原罪を負うがゆえに、神に対する贖罪と神による救済が必要だとされている。
永遠の創造主である神が、“神の像、自らの似にせ人間を創造した”(創世記・1・26)
その人間(アダムとイブ)がエデンの園の中央に神が生えさせた、善悪を知る木の実を、神の命令に背いて食べたことを原罪という。
神は自らの像に似せ、自らの姿に似せ人を造った。ということは、人の思考・欲求も当然神にはわかることになる。それなのに、なぜあえてエデンの園の中央に”善悪を知る木”を植えたのか。
その実は、いかにも食欲をそそるような色形を備えていた。神は、“人に対して、この木の実を取って食べてはならないといった。神は人に対し、禁断の木の実であることをあえて人に教えた。ダメだと言われれば手を出したくなるのが、知的好奇心を持つ人間の常である。そのような人間を自らの像に似せて作ったのは神である。その結果、人をして原罪といわれる行為をするよう
仕向けたのは、神だということにならないのか?
そもそも禁断の木の実であるならば、知的好奇心を与えた人間の前に、あたかも見せびらかすように植えておくことはないように思う。
例えるならば、育ち盛りの幼児の前に、いかにもおいしそうなケーキを置いて、このケーキを食べてはいけません,といって親が席を立った。親の不在の折、子供がケーキを食べたからと言って、その子が一生背負わなければならない罪だといえるのか?
確かに人間は、多くの過ちを犯している。テロ攻撃をした犯人グループが隠れ潜んでいる可能性があるという不確定な根拠で、アフガニスタンという小国にミサイルを撃ち込み、多くの人たちを殺傷した歴史的事実がある。
アフガニスタンの人達にとって、テロリストたちは外国から勝手に入ってきた、よそ者なのです。
然し、被害者はアフガニスタンの子供たちなのです。子供たちは、親を失い、家を失い、兄弟を失ったのです。
私は、神に赦しを請うべきなのは、この決定を下した人達こそが神に赦しを請うべきだと考えている。
私は、現在70歳であるが、その一生を理論物理学の研究者として、量子論、相対論、宇宙論の研究の道を歩んできた。この宇宙の全体像をつかむこと、宇宙の創生の姿を解明しようと努力してきた。その研究に精進する折、自分の精神の中には、真理=神、Truth=Godという公理が確立していた。宇宙創成の原理に迫ろうとする、研究者としての努力は、神が指し示す道を歩み続ける求道の道であると確信するようになってきた。
キリスト教の素晴らしい点は、神からの愛を、人に分かち合う、博愛の理念だと考えている。
2012年4月に、恩師と仰ぐ神父様から洗礼を受ける、準備をしている。
私の座右の銘としている言葉を、最後に記しておく。
中国・隋代求法僧:法顕 “志の存する処、愚直を専らのする”
2011/12/27
Internet University (I.N.U.)
Professor Ph.D. Kubo
0 件のコメント:
コメントを投稿